2019年1月31日(木)、僕は死んだ。

って、どこぞの火垂るの墓的なサムシングではなく、決して高畑勲監督を冒涜している気などさらさらなく。はじめまして、谷村☆のりおと申します。期間工ブログを始めるにあたり、少しだけ自己紹介をさせて下さい。期間工になるまで何をしていて、何故期間工になったのかをざっくりとご説明いたします。そもそも、谷村って誰?っていう話なんですがw

期間工になるきっかけとなった事件、それは「リストラ」されたのであります笑。俗に言う整理解雇ってやつなんですが。転職をかれこれ過去6回経験をし、これが最後の転職にしようと決意し入社。とあるアニメ会社のデザイナーとして雇われました。絵の仕事を始めること、足掛け10年。僕は大学卒業後、

最初アニメーターとして7年半あまりブラックな仕事をしておりました。

初任給¥23,180


月給です、笑。いや~これでよく生きていけたもんだ、って今でこそ思います。

大学卒業後、フジテレビの編集として就職。100万円の貯金をしてアニメの世界に飛び込みました。月々の家賃や光熱費などは切り崩して生活しておりましがが、まあそんなお金は直ぐに底を尽き・・・。3年持たなかったと思います。

石の上にもナンチャラという言葉通り、3年経って何とか月10~15万円程度のお金を稼げる位になった僕。3帖一間・極小アパートに住み続けてはみたものの、心も体もボロボロに。

結果うつ病になりました、笑。

アニメが出来るまで


アニメの仕事、アニメーターというと紙に鉛筆で絵を描く仕事という認識の方が大多数かと思いますが、実際何がどうなってTVとかで放送されているのか、興味持っている人以外そんなの知る人はいない。マイノリティな仕事だと勝手に思っております。

原画という職業について、ちょっと説明。所謂下っ端・新人のアニメーターは動画、そこそこ経験年数が経って原画。その先は作画監督、というのを覚えて下さい。大体、こんな感じで役職が分かれています。

どんな仕事でも、新人→先輩→さらに上司というこの構造はアニメでも同じ。原画の仕事って何ぞやって話ですけど、ざっくり言うと土台を描く人。ざっくり過ぎて意味不ですが、大体合っています。絵コンテを発注書とすると、原画は何でしょう。

設計図といって良いのだと思います。家を建てる仕事に置き換えると土台を作った後で、これを元に作画監督(現場監督)がチェックを入れてそれが動画(新人)の元に渡り絵が動く。土台だけでは絵が動くことはなく、またちゃんと茶の間に届く・変な絵が公共の電波に流れることないように色々手が加わって放映されています。

アニメの仕事の分岐点


29歳になる手前、原画になったものの生活もこのままどうしようかと考え始め。もう辞めよう・・・、と思い立ったある日。仕事を引き受けていた際、自分の担当したカットが手元に帰ってくる。

「雰囲気の良いレイアウト、ありがとうございます。」

総作画監督から直筆のコメントがそこにはあった。ざっくり言うと、その作品の一番絵が上手い人。またキャラクターデザインも担当していることが多い。アニメ作る中で絵を描く人沢山いて、その作品の中でトップの人からまさかのコメント。恥ずかしい話ですが、褒めてもらえたんです。今まで「死ね・ゴミ・辞めちまえ」、散々言われ続けながら絵を描き続けていた僕。

アニメーターの性格の悪さ・口の悪さ・人としての尊敬の無さこれは日本が誇るべきゴミです、笑。どこぞのムスカ大佐が仰っておりましたけど、いっぱいおります。アニメ会社には・・・。

7年半あまり続けて、踏ん切りがついた瞬間。やって良かったと思える仕事に出会えたと同時に、アニメを辞めようと決心がついた。そんな出来事があり、転職を決意しました。

ぱちんこ・パチスロの2Dデザイナーに転職


転職するにも、どこが雇ってくれるのだろうか。紙と鉛筆で描いたものがどう役に立つのか。PCで絵を描くというのも大学で触った程度、普通はどこも雇ってくれないだろう、と思っておりました。また年齢も29歳・アニメーター経験、という経歴が世の中にどう認識されているのか。

不安が大きい中で転職活動をして行ったのですが、本当に幸運だった。

ある会社200名規模の中小企業、僕にとっては大企業なのですが声を掛けてくれたところがあり就職しました。そこから遊技機関係の仕事を始め、PCで絵を描く仕事を覚えおよそ2年と半年の間そこの会社にはお世話になりました。

整理解雇となった練馬のアニメ会社

遊技機の仕事を始めおよそ2年間半経験し、そこからまた転職。別の会社で遊技機のデザイナーとして1年間。

紆余曲折あり最後の転職にしようと決め入社をしたとある会社、それが練馬にあるアニメ会社でした。キャラクターの絵を描く仕事が出来るんじゃないか、アニメの会社という割りにゲームとか色々な仕事を請けている。練馬という場所も何か縁あるな(大学卒業後、入った会社が練馬だったので)と思い、2018年4月に入社。

ここで骨を埋めよう、これが絵を描く最後の場所だと思っていたんですが・・・。

結果は、、、

入社して9ヶ月後、リストラされました。

いやもう笑うしかないです、人生初めての解雇通知書というのを受け取る事が出来ました。って破壊力あり過ぎです、笑。

2019年の2月、解雇まで残り28日。

って解雇通知って30日前じゃないのなんて話考える暇も無く次の職場探さないと・・・。

僕は若干自暴自棄になりかけていたのか、

何故か思い付きで「ラブホで働けないかな・・・。」と思い始め期間工になるまでの間、ラブホテルへ転職活動→キャバクラ勤務の時間がありました。

思考停止になりかけたあの日、ラブホへの転職を閃いた。


ラブホテルへの就職してみようかな、きっかけは上司が過去にラブホの清掃のバイトをしていたという話があったため。

僕と同じように中途で入社した上司、大企業から中小企業まで営業畑一筋。色々話を聞くと、転職期間中に1年以上ラブホテルの清掃員として働いていたという。

絵の仕事はきっぱり辞~めよと思っていたこの頃、半ば自暴自棄になっていた気がします今思えば・・・。上司の話がきっかけ半分・どうにでもなれが半分で、とりあえず探してみました。

30代未経験・体一つで仕事が出来る就職先を探す

給与は平均して22万前後、3日1勤って何だ?こんなところから調べ始めた分けですが、最後の仕事を片手間で。というかモチベーションも駄々下がりながらも絵を描いていた僕ですが、隙を見ては求人の応募を探しに探し、PCをクリック・カチカチ・・・。粛々と転職活動を進めておりました。

仕事としてのラブホテル、その実態。


ラブな清掃の仕事の実情、実はポイントだけ掃除・回転率を考えていかに手早く清掃するか・芸人やバンドマンなど老若男女問わず様々な人が日々働いている・たまに特殊なプレイをして部屋を後にするのでその時は掃除が大変等々。売り上げは流石ラブホテルというか、景気に左右されない業界。売り上げも好調らしくこれからオリンピックなどに向けて外国人観光客なども利用が増えるので働き手を探している、面接をして色々話が聞けた。しかし、内心思っていた事は

最低20万円以上の場所を探さないと

今まで福利厚生当たり前、外に出ることも無くデスクワーク、好きでもない絵の仕事を続け、、、。どこか傲慢な考えでこの10年間を過ごしていた。お給料という月に安定したお金を貰え、恵まれた環境に有難さを知ること無く過ごしていたんだと実感した。しかしそんな生活もタイムリミットが近付いて来ているのだ。バイトで休み無くやって20万行くか行かないか、それがラブホテルの仕事。そのやり方はもうちょっと、しかし選んでる自体わがままだってことは良く分かっていた。愛の宿屋の求人で月10日以上の勤務・20万円以上もらいたい、そんな気持ちでおりました。

いずれ年齢と共に限界が来ると共に、

人生詰む事になるのが目に見えて分かるのは目に見えているのにも関わらず。

面接が10分で終了、お引取り下さい。


あるラブホテルでの面接、ものの10分で終わった経験をしました。

ホント笑えない。アンケートみたいな形で受け答え。履歴書・職務経歴書を提出したものの、特に注視する事無く事務的に質疑応答が行われ・・・。電話で問い合わせた際、提出書類一式用意し直接来て下さいと言われたが、何だ。この興味持ってもらえない、所在無い感は一体・・・。ツラい、って言葉が真っ先に思い浮かんだ。どうやら違ったようだ、そう思う前に僕の思い付いたラブなホテルへの就職が異常にハードルが高く高く、ものすごーく高い感じに思えて来て。漠然とした不安がやって来た。

物凄い求人の数が来ているのだろうか、僕よりもきっと印象良くお互い面接も心地の良い時間が過ぎ・・・。過去何度か転職をして、面接を受け内定をいただいた企業を思い返すと、ちゃんと会話がそこにはあった気がする。今回そうで無いとしたら、落ちたんだろう。面接の時間を割いていただいただけ有難い、何て思っているのが半分。もう半分は情け無い気持ち。話を全然させてもらえない辛さって、こんなにも堪えるものだったけ?

人に興味を持って貰えないって、どうしてこんなにもツラいのだろうか。

整理解雇までのカウントダウン


この後、どの位沈めば飛び上がることが出来るのだろうか。

未経験で30過ぎの年齢というのは風当たりが強いのか。ラブホテルで働くという、この思い立ったの行動がそもそも間違っているのだとしたら。いや、間違っているのだと気付くのは大分経ってからなんだけど。冷静になれていなかった自分がこの時はおりました。求人のページを見て、綺麗な所だけ見ている気がしてきた。今になって考えてみると、手取りが20万以上貰える仕事って探そうと思えば見つけることが出来ると思いますが、いざ内定もらえるかというと話は別問題。未経験でかつ異業種からの転職、このハードルは物凄く高い。転職活動を長期的に考え行動し、転職サイトやエージェント経由で就職先を探す、という方法が堅実的かつ現実的かと思うのだけれども、その当時の僕には無理だった。

貯蓄が0の情けない、無価値な男。

情けない話です、ホント。明日どうしよう、リストラまで刻一刻と迫って来ている。ハローワークへ行って失業保険貰っても3ヶ月分しか貰えない。というのも、転職して1年未満・9ヶ月という部分が足を引っ張ることに・・・。この条件だと失業保険は3ヶ月分しか支給されない。転職活動を長期的に、とか考えて行動することへの不安がこの時にはありました。

結果、冷静な判断が出来ない情け無い自分がそこには居た。直ぐにでも働ける仕事を探さないと、体が健康な今のうちに出来る仕事を・・・。落ち込んでいる暇など無かった、あの時。ラブホテルへの求人を見つけ、応募をし続ける。全国津々浦々、働き先を求めている人たちと闘って闘って闘って、、、。時間が刻一刻と進むにつれて、情緒不安定になっていく自分がそこにはいました。

来月、春先に自分は笑顔でいられるだろうか。

キャバクラへの転職、黒服として働いてみた。

心折れたラブホテルの転職活動、そしてリストラされ・・・。

退社した3月に僕が選択した転職先、それはキャバクラ・黒服の仕事でした。

何故キャバクラを選択したか、給与面だけです。求人ページに並んでいるのは25万円以上の給与が殆ど、また資格など必要が無い。兎に角お金が欲しかった、働ければ何処でも良かった、情けないこの状況からどうにか変えたかった・・・。ただただ勢いだけで面接を至る所で受けに行きました。渋谷・新宿・池袋etc

世間のイメージ通りの柄の悪い、語弊がある感じですがそういうお店が沢山ありました。面接をして、これはヤバイ・来ては行けない場所の様な雰囲気があったり。面接も形だけで「いつから来れる?」「今日から働く?」というノリのお店も多かったです。

結果、10店舗ほど位でしょうか。

その中で池袋にある水着キャバクラのお店に黒服・ボーイとして働くことになりました。

お店が無くなる、そして1ヶ月で飛ぶ。


昼3時起床、4時に出て、5時出社。帰宅は朝10時・・・。そんな生活サイクルになった結果、痩せに痩せ精神的にも疲れ果ててしまうことになり。実際どんな職場だったのか、お客の柄が悪かった記憶しかありません。お酒が絡むと人は変わる、それを相手にする客商売。そんなお客からお金を絞りに搾り取るキャバ嬢たち。1日平均90万の売上らしく、週末は1日で100万円を越えるお店。お店自体の広さはそんなに大きくは無く、回転率といいますかお客さんをどんどん入れてどんどんお酒を注文させていく。楽しく飲んでいるように見えて、実際はお金がどんどん吸い取られていく様を見て働いている身として

「大丈夫なのか、この店は」

そういう気持ちを持ちながら日々過ごしていたのですが、この直感は間違っていなかったです。案の定、僕が入って2週間過ぎたある日。行政書士からの訴えがあり、お店を閉める事態に。お客と店側で揉めている光景を日々見ていたのですが、その中でこれはと思ったお客さんがいたのでしょう。

この店はボッタクリだ

採用され働き始めたものの、お店が無くなるとか。キャバクラとか夜のお店ではよくある話だそうです、後で店長に聞きました。

そして1ヶ月働いてみて、これは一生働くような仕事では無いな。でもこの後どうしよう、仕事探すといってもどうしたらいいんだろうetc

こんな考えがグルグルと周り始めて、気が付いたら僕は新宿のテルマー湯で温泉に浸かっておりました。ようは、営業時間中に逃げました。業界用語で俗にいう「飛ぶ」と言われるそうです。

ニートになり、この先どうするか本当に悩みに悩み始めることになりました。

期間工という存在を知る


きっかけはあるメルマガを見ての影響だったのですが、そこで初めて「期間工」というワード・その仕事の実態を調べる事を始めました。契約社員と正社員の間のポジション、企業・メーカーの直接雇用、寮生活で光熱費に寮費は無料、加えて入社祝い金や満了金etc

様々なワードと共に?が沢山、更に調べるとyoutubeなどで期間工経験者の動画やまたブログなどで期間工の体験談をまとめている人を知る。

体力的にキツイ、けど稼げる。

都内で働いてもお金が増える事も無く、また様々な誘惑も多く出費だけが増えるばかり。僕の無自覚かつ計画性の無さ・様々な部分で情報弱者であり、いずれ緩やかにパラシュートの如く落ちて行き人生路頭に迷う大人になるであろう事は何と無く感じていた。期間工という職業への転職に対し、実は決断する事へ迷っていました。ラブホテルやキャバクラへの転職の失敗、そもそも夜の職業へ進み出すことが間違いであり浅はかであった事に今なら気付くことが出来たのだけれど。しかし、踏ん切り付くまで時間がある訳では無く一日一日お金が必要な状況。住民税や年金、はたまた奨学金の返済・・・。どうするか迷う事すら待った無し、説明会に参加しその後メーカーとの直接面接する事になるまで時間は掛からなかった。

結果、群馬のある自動車工場へ働く事を決めました。

お金を稼ぐ事を真剣に考え行動してみた。


生きる上で必要なもの、お金。

このお金をどう稼いでいけば良いのだろうか、またここまで生きてきた、いや生かしてもらったお金は一体いくらなのだろうか。子供が大人になるまでおよそ1000万円掛かると言われておりますが、この金額。それも最低1000万円。

今の僕では未来永劫稼ぐことすら難しいと思いました。両親も世代は違えど自身で社会に出て仕事をし金を得て、更に家族・子供である僕を養って来た。しかし、僕はそんな親のように家族・子供が出来るくらい一人前の大人になれていない。未だに手前の人生、地に足を付いて生活すら困難となって来た、現在の僕がいます。

お金を得る為には、何をしていけば良いのだろうか。

お金を生み出す為には、何を変えていけば良いのだろうか。

お金に困らない人生を送る為には、何を変えていけば良いのだろうか。

頼り甲斐のある男になるには、どうしたら良いか考えた。

いざという時に動じない・何が起きてもこの世間を行き抜け続けられる力を身に着けたい。

何をどうしたらと考えてばかりになっていたけれど、

何故、僕は期間工になったのか

何故、お金お金お金という考え方に変わったのか

何故、お金がこの世の中でもっとも必要なものなのか

契約更新をし続けこれからの3年間、お金を獲りに行く。

1000万円の貯金という目標を掲げ、

僕は期間工という仕事を通じて、もう一度自分の人生を変えたいと思った。

>>期間工7カ月で100万円貯金に成功した記念で札束を公開中